フォークウエイズとモーレスの基本概念
1 フォークウェイズの定義とその成立過程
原始人や原始社会について人類学・民族学から得られた知識をまとめると、人間にとってまず第一に必要なのは、生き延びることだと分かる。
人間というものは、まず考えることからではなく、行動することから始める。なぜなら、その時々ですぐ対処しなければならない必要に迫られるからだ。
人間が最初に経験するのは「欲求」だった。それに続いて、その欲求を満たそうと、不器用な努力を始めた。
人間は祖先が動物だったときから、何らかの決まった行動をするような本能を受け継いだと一般には考えられている。それはおそらく真実だろうが、いまだ証明されたことはない。
仮にそうした本能があったなら、人間が欲求を満たそうとするときの最初の行動は、その本能に導かれていたはずだ。
動物の行動を参考にすると、習慣や素質によって行動のパターンができあがり、そのパターンに沿って技能や心身の活動がスムーズに行われるようになる、と考えやすい。
生まれたばかりの動物を使った実験によれば、適切に欲求を満たす経験をしていない状態では、欲求を満たそうとする行動は不器用で手探りになってしまう。
そのやり方は試行錯誤であり、その過程では何度も苦痛や失敗、損失を経験することになる。
それでも、それは未熟ながらも「試して、うまくいったものを残す」という実験と選択の手法になっているのである。
人類の最初の試みも、このようなものであった。欲求が行動を駆り立てる原動力だった。
人は、快楽と苦痛を基準に行動していた。そして当時の人間に備わっていた精神的能力とは、快楽と苦痛を区別する程度のものだった。
その結果、生存の役に立つ行動が採用されていった。それらは他の方法よりもうまく目的を達成したり、あるいは楽にできて苦痛が少なかったからである。
人々の行動が繰り返される中で、習慣や決まったやり方、技能が形成されていった。
生き残るための闘いは、個人単位ではなく集団単位で行われた。人々は互いの経験を利用し合い、その結果、最も役に立つやり方をみんなが自然と利用するようになった。
最終的には、同じ目的に対して皆が同じやり方を取るようになり、それが慣習となって社会全体に広がった。
本能は、それに適応する形で発達した。このようにして、フォークウェイズが生まれた。若者たちは、フォークウェイズを伝統や真似、権威のある人物から学ぶ。
その時代のフォークウェイズは、その場その時における生活上のあらゆる欲求を満たすものである。フォークウェイズは集団の中で共通して見られ、誰にでも当てはまり、守るべきものとされ、簡単には変わらない。
時代が進むにつれて、フォークウェイズは、その理由が問われることがなくなり、当たり前のものとなり、さらに守るべき規則のようになっていく。
原始社会の人々は、「なぜそんなやり方をするのか」と聞かれると、「先祖代々ずっとそうしてきたからだ」と答える。
また、人びとは幽霊への恐怖から、フォークウエイズを守ろうとした。昔から続くフォークウエイズを変えると、祖先の霊が怒ると考えられていたのだ。
2 フォークウェイズは、人々を動かす社会的な力を持つ
フォークウェイズは、小さな行動が何度も繰り返されることで生まれる。ときには多くの人々が協力して行動し、少なくとも同じ欲求に直面したときに同じような行動を取ることで、それは形成されていく。
人は自分の利益のために行動する。したがって、フォークウエイズはきわめて根源的で原始的なものである。
フォークウェイズは、習慣や慣習として人々を縛り、その社会に属するすべての個人に影響を与える。そしてやがて、社会全体を動かす力となり、多くの社会現象を生み出すのである。
フォークウェイズの初期段階、発展過程、法則を研究することができる。また、フォークウェイズが個人に及ぼす影響や、個人がそれにどう反応するかも研究できる。ここでは、そのような観点からフォークウエイズを研究することを目的とする。
フォークウエイズを、社会を今の姿にした主要な原動力の一つとして認識しなければならない。
人々が慣習的な行動を繰り返し、その中で行われる無意識の試行錯誤から、快楽や苦痛といった経験が生まれる。そしてさらに、人々がそれを振り返って考えることができる場合には、それが社会全体の幸福に役立つという確信も生まれてくる。
この二つの経験は同じではない。最も原始的な人々でさえ、食料獲得においても戦争においても、苦痛を伴うことを行う。だがそれは、自分たちの利益になるとわかっているからである。
おそらく、このような事例のほうが、単に快適で好都合な事例以上に、社会全体の幸福という感覚をよく示している。前者の事例は、経験に基づいた賢明な考察を必要とする。
社会全体の幸福に役立つという確信がフォークウェイズに加わると、それらはモーレスへと変化する。そして、そこに哲学的・倫理的要素が加わることによって、有用性と重要性を獲得し、人生の知識や生活技術の源泉となる。
3 フォークウェイズは、無意識のうちに形成される
人間が欲求を満たそうとして最初に行う行動は、各自がバラバラであり、とにかく満足を得ることしか考えていない。この点を理解することが非常に重要である。
繰り返し生じる欲求から、個人には習慣が、集団には慣習が生まれる。しかし、これらの結果は、意識されたことも、予測されたことも、意図されたこともなかったものである。
それらは長い間存在して初めて人々に気づかれ、さらにその価値が認識されるまでには、もっと長い時間がかかる。
さらに長い年月を経て精神的発達が進むと、人間は慣習を基にして、将来起こりうる問題に対応するための規則を作り出せるようになる。したがって、フォークウェイズは、人間の意図や知恵によって作り出されたものではない。
フォークウェイズは、人間が無意識のうちに動かす自然法則のようなものである。あるいは、動物の本能的な行動のようなものである。そうした行動は経験から発達し、特定の利益に最大限適応した最終形態へ到達し、伝統によって受け継がれ、例外や変化を許さない。
しかし同時に、それらは新しい状況に適応して変化もする。それは同じ限られたやり方の範囲内で変化するものであり、合理的な反省や目的意識によるものではない。
このことから、人類のあらゆる時代、あらゆる文化段階における生活全体は、主として、人類の最初期から受け継がれてきた巨大なフォークウェイズによって支配されていると言える。
フォークウエイズは、本質的には他の動物の行動様式と同じ性格を持つ。その表面的な部分だけが変化やコントロールの対象となり、それは人間の哲学、倫理、宗教などの知的な反省の働きによって、いくらか修正されてきたのである。
未開社会の人々には「非常に多くの慣習や細やかな儀式があった」と言われている。
慣習は、未開人の日常行動のすべてを支配していた。入浴や洗濯、髪を切ること、食事、飲酒、断食にまで及んだ。
未開人はゆりかごから墓場に至るまで、古来からの慣習の奴隷であった。
その人生には、自由も、独創性も、自発性もない。より良い生活に向かって前に進むこともなく、精神的・道徳的・宗教的に自らの状態を改善しようとすることもなかった。
そして、現代人もまた、少しばかり自由な選択の幅が広いだけで、本質的には未開人と同じような行動をしているのである。
4 衝動と本能、人間の根源的な不完全さ、呪術
モーレスは、快・不快の感情を基盤としている。これらの感情は、直接行動を生み出すこともあれば、行動の原因となる欲望を喚起することもある。衝動は、本能のように、生物に生まれつき備わっているものではない。
「衝動」は、人間や動物が、他者、特に同じ種の仲間の行動を真似するときにだけ当てはまる。そして、その行動を祖先たちが長く繰り返してきたほど、真似はより自然に行われるようになる。
したがって、真似をされる対象はすでに存在していなければならず、その起源を衝動によって説明することはできない。
人間の祖先たちが本能だけで生きる段階を終えたとき、彼らは生き残る中で多くの失敗をしたはずである。そして、本来ならそうした失敗によって滅びていてもおかしくなかった。しかし彼らには、本能に加えて、すでに周囲にある行動を真似する力があったため、生き延びることができた。
こうした人間の根源的な不完全さが、宗教や芸術の根本にある。宗教も芸術も、本能だけでは生きられなくなった人間が、生き残ろうとする中で生み出した「呪術(magic)」から発展したものだからである。
衣服の起源を明らかにしたいなら、あるいは結婚・戦争・農耕・牧畜などの社会的制度や文化的成果の起源を説明したいなら、また原始社会の人々の心理を研究したいなら、私たちは常に、呪術と呪術への信仰を通して考えなければならない。
呪術の力が弱いとされる者、たとえば宗教的・儀礼的に「穢れている」と考えられた人は、「良くない身体」を持つ者と見なされ、物事もうまくいかないと考えられた。
他方で、原始社会の人々は、呪術の力や呪術的な儀式によって成功を得る。そして成功した者こそが、「立派で善い人間」だと考えられる。彼らにとって、道徳とは結局その成功そのものなのである。
さらに、技術や職人的な技能でさえ、呪術的な信念と結びついて発達していた。
5 改善しようとする動きとまとまろうとする動きの緊張関係
フォークウェイズとは、人々の欲求を満たすための行動のしかたであり、ある程度うまく機能してきた。だからこそ、人々に快楽や苦痛の経験をもたらしてきたのである。
フォークウェイズの良し悪しは、目的をどれだけ達成できるかによって決まっていた。
フォークウェイズが目的を達成できず、失敗に終われば、人々は苦痛を味わい、その苦痛によって、よりよい方法を学ぶように導かれた。
したがって、フォークウェイズによって目的が達成できず、苦痛が生じているあいだは、フォークウエイズはより適切なものに改善されるよう、プレッシャーを受ける。
一方で、フォークウェイズには、互いに矛盾せずまとまろうとする力も働く。というのも、各々の慣習は、互いに支え合うほうが衝突が少なくなり、それぞれの役割をうまく果たせるからである。
産業のあり方、家族制度、財産についての考え方、権利の仕組み、宗教の形態などは、文明史全体を通して、互いに矛盾せず結びつこうとする傾向を示している。
人類には、東洋と西洋という二つの大きな文化的区分が存在する。
東洋と西洋は、それぞれ内部で統一された文化体系を持っている。そこには独自の思想や精神があり、社会慣習やものの見方、生活のしかた、さらには「どんな社会の仕組みがよいか」という考え方まで、大きく異なっている。
東洋と西洋の対比は、人間生活の大きな問題に対する解決法がどれほど多様になりうるか、また人生を導く世界観がどれほど異なりうるかを、私たちに示している。
仮に別々の惑星の人々が一緒になったとしても、人生で何を価値あるものと考えるか、また幸福に生きるにはどんな生き方がよいかについて、東洋と西洋ほど大きく食い違うことはないだろう。


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