ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン』翻訳4

ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン(HUMAN MIGRATION AND THE MARGINAL MAN)』の翻訳です。

スポンサーリンク

ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン』翻訳4

「もし放浪が、空間のあらゆる特定の地点からの解放として考えられ、あらゆる地点への固定とは正反対の概念であるならば、よそ者のの社会学的形態は、間違いなくこれら両方の特徴を合わせ持っていることを示している」。

よそ者は滞在はするが、定住はしない。よそ者は潜在的な放浪者だ。つまり、彼は他の人々のようには、地元の慣習に縛られない。

「彼は実践的にも理論的にもより自由な人間だ。彼は他人との関係をあまり偏見なく見ている。彼は、一般的で客観的な基準に従う。慣習や信心深さ、前例によって行動を制限することはない」。

移動と移住の影響は、神聖視されていた関係を世俗化する。このプロセスを、その二重の側面から、社会の世俗化と個人の個性化として説明することもできるだろう。

ギルバート・マリーの『ギリシャ叙事詩の興隆』

この点において、ギルバート・マリーの『ギリシャ叙事詩の興隆』の序文がおすすめだ。彼はこの序文で、人々の移住が実際には以前の文明の破壊をもたらし、後のより世俗的で自由な社会の創造のために人々を解放したのを、簡潔で鮮明なリアリティをもって描いている。

彼は、序文でエーゲ海地域への北欧人の侵略の出来事を再現しようとした。その後に続いたのは混乱の時代だったと彼は言う。

古い文明が粉々に砕け散り、法律は無視された。人間社会の本質を形作る正常な期待の複雑な網が、絶え間ない失望によって頻繁に、そして完全に引き裂かれる。ついには正常な期待がまったく存在しなくなるというカオス。

後にイオニアとなった海岸、そしてドリスおよびアイオリスの一部に逃れた移住者たちにとって、部族が存在しなかったため、部族の神々や部族の義務は残っていなかった。

古い法律は存在しなかった。なぜなら、法律を施行する人も、法律を覚えておく人さえいなかったからだ。

唯一あるのは、その時の権力者が実効する強制力だけだった。家庭と家族生活は消え去り、それに伴う無数の絆もすべて消え去った。

ある男は今、自分と同じ人種の妻と一緒に暮らしていない。彼は、異国の言葉と異国の神々を持つ危険なよそ者の女性と一緒に暮らしている。その男は、おそらくその女性の夫か父親を殺害したか、あるいはよく見ても、殺人者からその女性を奴隷として買い取った。

後で述べるように、昔のアーリア人の農夫は、ある種の親密なつながりの中で家畜の群れと暮らしていた。

彼は特別なストレスや明確な宗教的理由がある場合のみ「自分の兄弟である牛」を殺した。そして、殺害が行われることで、女性たちが泣くことを期待した。

しかし今、彼は自分の家畜を遠くに残した。家畜は敵に食い尽くされた。そして彼は、強奪したり奴隷として使ったりしていたよそ者の動物に頼って暮らしていた。

彼は、食べ物をくれ、愛してくれた、彼自身の血を引く優しい亡霊である父親たちの墓を離れた。彼の周囲には、名前も知らないよそ者の死者や奇妙な幽霊の墓があり、彼よりも力を持っているので、どうにもできない。彼は、恐怖と嫌悪とを持ちつつも、心を落ち着けようと全力を尽くしていた。

彼が今後忠誠の中心とすべき唯一の具体的なものは、彼の古い家族の家庭、彼の神々、彼の部族の慣習と神聖さの代わりとなるものであった。

それは石でできた周りを囲む壁、ポリスだった。

古代ギリシャのポリス

彼と彼の仲間たち、つまり、さまざまな言語と信仰を持つ人々が、大きな必要性によって団結し、自分たちと敵の世界との間に築き上げた唯一の障壁である壁。

ギリシャ文明は、都市国家の壁の内側とこの混成集団の中で誕生した。

古代ギリシャ人の生活の秘密のすべて、すなわち、粗野な迷信や神々への恐怖からの比較的自由な生活は、この移行と混乱の時代と密接に関係していると言われている。この時代に、古い原始世界は消滅し、より自由で啓蒙された社会秩序が誕生したのである。

思考が解放され、哲学が生まれ、世論は伝統や慣習に対抗する権威として確立される。

ギュイヨ(Guyot)はこう述べている。「ギリシャ人は祭りや歌や詩とともに、永遠の賛歌によって、人間が自然の強大な束縛から解放されたことを祝っているようだ。」

ギリシャで最初に起こったことは、その後ヨーロッパの他の国々でも起こり、現在はアメリカでも起こっている。

人々の移動と移住、貿易と商業の拡大、そして特に近代における人種と文化の巨大なるつぼである大都市の成長は、地域の絆を緩め、部族と民族の文化を破壊し、地域の忠誠心に代わって都市の自由をもたらした。

部族の慣習という神聖な秩序、つまり私たちが文明と呼ぶ合理的な組織のために。

人類のあらゆる情熱、あらゆるエネルギーが解き放たれるこれらの大都市において、私たちはいわば顕微鏡で文明の過程を調査できる立場にある。

都市では、古い一族や血縁集団が解体され、合理的な利益と気質的な好みに基づいた社会組織に置き換えられる。

特に都市では、大規模な分業が実現しており、個々の人間が自分のエネルギーと才能を、自分が最も適した特定の仕事に集中することを可能にした。このようにして、原始人を完全に支配していた自然と環境から、人間たちを解放した。

同化や融合には時間がかかる

しかしながら、文化の変容と同化、およびそれに伴う人種の融合のプロセスは、すべてが簡単に、同じペースで進むわけではない。

特に、人々の文化や人種が大きく異なる場合、同化や融合には時間がかかる。私たちのいわゆる人種問題はすべて、同化や融合がまったく起こらない、あるいは非常にゆっくりと起こる状況から生じている。

私が他のところで述べたように、人種間の文化的同化に対する主な障害は、彼らの異なる精神特性ではなく、むしろ彼らの異なる身体的特性である。

日本人がヨーロッパ人のように容易に同化できないのは、彼らの精神性のせいではない。日本人は、他とは違った独特の人種的特徴を持っている。いわば、自分を分類する人種のユニフォームを着ているのだ。

日本人は、たとえばアイルランド人や、もっと数は少ないが他の移民の人種の場合のように、国際的な世界の中で、区別のつかない、単なる個人になることはできない。

日本人は、黒人と同様、我々の間では抽象的な存在、象徴として、そして単に彼自身の人種の象徴であるだけでなく、東洋の象徴、そして我々が「黄禍論」と呼ぶ曖昧で定義の曖昧な脅威の象徴として存在し続ける運命にある。

このような状況下では、異なる人種的血統を持つ人々が共生関係で隣り合って暮らし、それぞれが共通の経済の中で役割を果たしながらも、あまり交配しないかもしれない。

インドのジプシーや社会の排斥者のように、それぞれが多かれ少なかれ完全な独自の部族組織や社会を維持している。

近代に至るまで、ヨーロッパにおけるユダヤ人の状況はこのようなものであった。今日でも、東南アフリカと西インド諸島の原住民の白人とヒンズー教徒の間には、いくぶん似たような関係が存在している。

ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン』翻訳目次

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました