ジャック・ロンドン「どん底の人々」の翻訳です。
第一章「どん底へ」
「やめときなよ、無理だって」。私がイーストエンドに潜入するために助けを求めた友人たちはそう言った。
友人たちは、肩書は立派だが頭の良さがそれに伴っていない狂人(私のことだ)の心理をなんとか理解しようとし、「警察に頼んで案内してもらったら?」と付け加えた。
「警察には頼らない」と私は言い返した。
「自分の目で見て知りたいんだ。イーストエンドの人たちがどうやって暮らしていて、なぜそんな生き方をしているのか、何を求めているのか。要するに、イーストエンドに住んでみるつもりだ」
「そんな所に住むなんて!」と彼らは顔をしかめながら驚いた。「命が二ペンスにもならない場所があるって聞くよ」
「まさにそのような場所が見たいんだ」と僕は言った。「でも無理だって」と彼らは繰り返す。
「そんなことを聞きたくて来たわけじゃない」と私は少しいら立ちながら答えた。
「私はこちらの土地の人間ではないんだ。だから、イーストエンドについて、まず君たちの知ってることを教えてほしいんだ」
「イーストエンド? 何にも知らないよ。あっちの方だろうとは思うけど」と彼らは言い、太陽がめったに見えない方向をぼんやり指さした。
「それならトーマス・クック社に行くよ」と私が言うと、「それがいい」と皆はほっとした表情になった。「クック社ならきっと知ってるよ」。
ああ、クックよ、トーマス・クック・アンド・サン社よ、道を切り拓く開拓者たち、世界中の旅人のための生きた道しるべよ。
あなたたちは何のためらいもなく、すぐに、しかもたやすく、迅速に、困った旅人たちに対し、最初に助けの手を差し伸べてくれる。
あなたたちは、アフリカやチベットの奥地へなら、ためらいもなく送り出せるのに、ロンドンのイーストエンドという、ルドゲートサーカス交差点から石を投げれば届くほどの距離にある場所へは、道すら知らないというのか!
「それはできないんですよ」。クック社のチープサイド支店の窓口担当者はそう言った。「ええと、あの、イーストサイドに行きたいという人はめったにいませんので・・・」。
それでも私が食い下がると、「警察に相談してください」と、彼は声を強めて言った。
「私たちは、イーストエンドへの案内はしていません」。
「私たちは、イーストエンドへの案内の依頼は一切受け付けておりません。イーストエンドについては全く何も知らないのです」。
否定の言葉を何度も口にする担当者にオフィスから追い出されないよう、「そんなことは気にしません」と私は口をはさんだ。
「私のためにしてもらいたいことがあるんです」。
「それは、私がこれから何をしようとしているか、クック社さんに前もって知っておいてほしいのです。もし何か問題が起きた場合に、私を特定できるようにするためにです」。
「ああ、わかりました!万が一あなたが殺された場合、私たちが遺体をあなただと特定するということですね」。
彼はそれをあまりにも陽気かつ冷酷に言ったので、その瞬間、私は自分の裸の切り刻まれた遺体が、冷たい水が絶え間なく滴る死体安置場に置かれているのを思い浮かべた。
そして、この窓口担当者が身をかがめて、その遺体がイーストエンドを見に行こうとした狂ったアメリカ人のものだと、悲しそうに確認している姿が見えた。
「いいえ、そういうことではなく」と私は答えた。「ただ、もしもボビー( イギリスの俗語で警察官の意味)とトラブルになったときに、身元を確認してもらうためです」。
「私はボビーという言葉を発して興奮した。私はその土地の話し言葉をしっかりと使えたのだから」。
「それは、上のほうで検討すべき問題です」と彼は言った。「本当に前例がないことなんですよ」と彼は申し訳なさそうに付け加えた。
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