ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン』翻訳3

ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン(HUMAN MIGRATION AND THE MARGINAL MAN)』の翻訳です。

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ロバート・E・パーク『人の移住とマージナルマン』翻訳3

革命と移住の違い

革命と移住の第一にそして最も明白な違いは、移住は侵入者の影響によって社会秩序の崩壊が始まり、先住民と外来民族の接触と融合によって完了するという点である。

革命の場合、政治的動揺や社会を混乱させた勢力は、通常、社会の外部ではなく、主にその内部にその起源を持っていた、あるいは持っていたように見える。

(そのため)あらゆる革命や啓蒙、知的覚醒、ルネッサンスは、何らかの侵略的な人口の移動、あるいは何らかの異質な文化の侵入によって引き起こされてきたし、これからもそうだろう、という主張が成立するとは思えない。

少なくとも、商業と通信の発展に伴い、移動は徐々に増加する一方、移住は減少しているため、この見解には何らかの修正が必要であるように思われる。

商業は地球の果てまでを結びつけ、移動を比較的安全なものにした。さらに、機械産業の発達と都市の成長により、人ではなく商品が循環している。

商品を背負って歩く行商人に代わって各地に出向くセールスマンが増え、通信販売会社のカタログは、アメリカ人の行商人でさえめったに足を踏み入れなかった遠隔地にも届くようになった。

ブッチャーが指摘したように、世界経済の発展と人々の相互浸透により、移住はその性格を変えてきた。

中世と現代の移住の違い

ヨーロッパ民族の歴史の幕開けに起こった移動は、民族全体の移動であり、集団としての単位が東から西へと押し進められるもので、何世紀にもわたって続いた。

中世の移住は、常に個々の階級にのみ影響を及ぼした。十字軍の騎士、商人、賃金職人、職人手工業者、曲芸師や吟遊詩人、町に中に保護を求める農奴などである。

その反対に、現代の移住は一般的に個人的な事情によるものであり、個人は極めて多様な動機によって動かされている。また、ほぼ例外なく組織化されていない。

毎日数えられないくらい繰り返されるこのプロセスは、より有利な生活条件を求める人々による移住という、ただひとつの特徴によって結びついている。

移住は、かつては侵略であり、その後に他の民族による強制的な追放または征服が続くものであったが、平和的な侵入という性格を帯びるようになった。

言い換えれば、人々の移動は個人の移動へと変化し、これらの移動がしばしば引き起こした戦争は、内部抗争の性質を帯びるようになり、ストライキや革命がその典型と見なされるようになった。

さらに、壊滅的な変化が起こるすべての形態を考慮しようとするならば、イスラム教やキリスト教のような新しい宗教運動の突然の勃興によってもたらされる変化も含める必要があるだろう。

イスラム教やキリスト教はどちらも分裂主義や宗派主義の運動として始まり、拡大と内部進化によって独立した宗教となった。

この観点から見ると、移住は、これまでこの問題に最も興味を抱いてきた作家たちが考えたのとは違い、その特徴はそれほど独特でも例外的でもないように思われる。

それは単に、歴史の変化によって引きこされる可能性のある形態の 1 つとして現れる。

それにもかかわらず、人間の移動を抽象的に集団行動の一形態として捉えると、その形態やそれがもたらす影響の両面において、それが独立した調査と研究の対象となるのに十分なほど典型的な特徴を、あらゆる場所で示している。

しかし、移住は単なる移動と同一視されるべきではない。少なくとも移住は、居住地の変更と生まれ育った家族との断絶を伴う。

ジプシーやその他の社会から疎外された人々の移動は、文化生活に大きな変化をもたらさないため、社会現象というよりもむしろ地理的な事実としてみなされるべきである。

遊牧民の生活は移動を基盤として安定しており、ジプシーは現在では自動車で移動しているものの、比較的変わることなく、古代の部族組織や習慣を維持している。

その結果、彼らがいつどこにいても見られるコミュニティとの関係は、社会的なものではなく共生的なものとして説明されることになる。

これは、たとえばホーボー(貧しい労働者)やホテル住まいといった、定住せず流動的な人たちのことで、どの階層や階級にも当てはまる傾向がある。

移住によって生み出される人格の変化

社会現象としての移住は、慣習や風習の変化といった巨視的な影響だけでなく、移住によって生み出される人格の変化という主観的な側面からも研究されなければならない。

新たに侵入した文化との接触や衝突により社会の伝統的な組織が崩壊すると、いわば個々の人間が解放される。これまで慣習や伝統によって制御されていたエネルギーが解放される。

個人は新しい冒険に対して自由だが、多かれ少なかれ、その進む方向は決まっておらず、コントロールされていない。

この件に関して、テガートは以下のようにコメントしている。

習慣的な行動様式や思考様式の崩壊の結果として、個人は自分が受けてきた制約や束縛からの「解放」を経験し、この「解放」の証拠を攻撃的な自己主張で示す。

個性を過剰に表現することは、あらゆる時代の変化での顕著な特徴の 1 つである。

一方、異なる集団間の衝突や接触の心理的影響の研究によると、「解放」の最も重要な側面は、兵士、戦士、またはベルセルク(猛戦士)を従来の行動様式の拘束から解放することではなく、個人の判断を従来の思考様式の制限から解放することを明らかにしている。

したがって、時間の中での変化の作用方法(modus operandi)を研究することは、政治史家、文学や思想の歴史家、心理学者、そして倫理学や教育理論の研究者たちの取組みに共通の課題を与えることになる。

テガートによれば、社会の変化は、社会を構成する個人を「解放する」出来事から始まる。

しかし、この解放の後には必然的に、時間が経つにつれて解放された個人が新たな社会秩序に再び統合されることになる。

解放された個人は国際人(コスモポリタン)となる。

しかしながら、その過程で個人の性格に変化が起こる可能性が高い。彼らは単に解放されるだけでなく、啓蒙されるのだ。

解放された個人は必ず、ある意味で、そしてある程度、国際人(コスモポリタン)になる。

彼は、自分が生まれ育った世界を、まるで他人のような客観的な視点で見るようになる。つまり、彼は知的なバイアスを獲得するのだ。

ジンメルは、コミュニティにおけるよそ者(stranger)の立場とその性格を、移動と移住の観点から説明した。

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